距離。     2

「サンジくん。」


突然名を呼ばれて、サンジは慌てて視線を巡らせた。

いつの間にかすぐ隣にナミの姿があった。
レディの気配にまったく気が付かないなんて!と、内心で自分自身を叱咤しながら、サンジはナミに向かって笑顔で答える。

「どうかした?ナミさん。あ、喉でも渇いた?」

しかしサンジの言葉に、ナミはにこっと笑ってみせると、片手に持っていたグラスを顔の横に掲げる。

「あ・・・・・・・・・・・・。」
「ごめんね?冷蔵庫のアイスティー、勝手に飲んじゃった。」
「あ、いえいえ、いいんだけど・・・・・。」

言ってくれたらちゃんとお持ちしたのに・・・とちょっと眉尻を下げるサンジに、ナミは『くす』と笑い声を立てる。

「だってサンジくん、夢中みたいだったから。」
「夢中・・・・・・・・・・・。」
「うん。夢中で見てるみたいだったから。」

『あれ』と、ナミの細くてしなやかな指先がひらりとサンジの視界を横切って、甲板を指し示す。
その綺麗な指の先は、しっかりとゾロの姿を指していて、さらにサンジは落ち込みそうになる。
その情けないサンジの表情に、ナミは首をかしげるようにして彼を覗き込んだ。

「ゾロがどうかしたの?」
「そんな・・・・・。ゾロを見てたわけじゃ・・・・・。」
「違うの?」
「・・・・・・・・・・・・いえ、違いません・・・・・。」

なんだか否定しきれないまま、サンジはちょっと困惑したまま『えへへ』と苦笑いしてナミを見た。
ナミはそんなサンジを面白そうな顔で見ている。

「で、ゾロがなんなの?」
「なにっていうか・・・・・・・・・・。」

言葉を捜してちょっと口ごもりながらサンジは視線を再び甲板へと向けた。
チョッパーとウソップのフランキー観察はさらに盛り上がっている様子で、大笑いする三人の声がサニー号に響き渡っている。
そして、ゾロはやっぱりそのそばに座り込んだまま笑って彼らを見ている。

「なにしてんの、あいつら。」

呆れたようなナミの声に、サンジも笑った。

「フランキーのどこが強いのかって、盛り上がってるみたいだよ。」
「どこって、改造した場所がどこなのかってことかしらね。」
「うん、チョッパーが触ってみたいって言って。」

そこまで説明して、サンジは「あ。そうか」と内心でぽんっと手を打った。

フランキーの「強さ」の話になる前は、ゾロの話をしていたんだった。
どうしたらゾロみたいに強くなれるのか、だったか。
いや、鍛えた結果がちゃんと出るのがすごいとかって話だった?

それで、フランキーの「強い身体」に触っていいかって話になって、でも触ったら音が「コツン」とかって響いて、それはおかしいだろって思って・・・・・。

「サンジくん?」


ゾロがどんなに鍛えてても、そんな音したりしないだろうなあって思ったのだ。

「ねえ、ナミさん。」
「なあに?」
「人間の筋肉って、どこまで堅くなんのかなあ?」
「・・・・・・・・・・・・・・はあ?」

ナミの心底馬鹿にしたような声に、サンジははっと我に返った。
慌てて顔をナミに向けなおすと、ナミは声と同じようにあきれ返ったという顔つきでサンジを見ている。

「ええっと、あのね、ナミさん」
「ゾロのことなのね?」
「え?えっと、うん、そうなんだけど、さっきチョッパーが・・・・・・」

思わずしどろもどろになりながらも、サンジは必死にここまでの甲板のやり取りをナミに説明して聞かせた。
ナミは笑い出しそうな目元をしたまま、じっと黙って聞いている・・・・・・・・・・・・というより、サンジを見ている。

「・・・・・・・・・・・・で、その、音がして。」
「コツンって?」
「そう、それで、いくらあの筋肉マリモでも『コツン』ってことはないだろうなあとかって思って。」
「まあそれはそうでしょうね。」
「でしょ?」
「あの鍛錬バカだって、人間でしょうからね。」
「・・・・・・・・・・・ナミさん、フランキーだって人間だと思うけど?」

おもわず混ぜっ返したサンジの言葉に、ちょっと顔を見合わせてから二人はそろって吹き出した。

「あはは。それはそうだわ。あれだって人間よねえ。」
「たぶん、まだ、人間だと思うよ。」
「まだ、なの?」
「うん、だってメシ食うしね?」
「あはははは。そこが基準なの!」

サンジの言葉にひとしきり笑った後で、ナミは笑いすぎて浮かんだ目元の涙を指先で拭いながら思わぬことを口にした。

「そうよ、ご飯よ。サンジくん。」
「え??
「ゾロがバカが付くくらい鍛錬して、それで結果が出てるとしたら、それって鍛えてるからってだけじゃないでしょ。」
「ナミさん?」

言葉の意味が分からず、サンジは困惑してナミの言葉の続きを待った。
ナミの笑顔がちょっと優しくなって、サンジを見返している。

「どんなに鍛えたって、それだけじゃ何にもならないわ。チョッパーたちは『結果が出てるのがすごい』って言ったんでしょ?」
「うん・・・・・」
「鍛えた結果がちゃんと出てるって、それって鍛えた分だけゾロの身体がちゃんと出来上がってるってことなんじゃないのかしら。」
「・・・・・・・・・・・・・・あ、」
「そうよ。きちんと鍛えた分に必要なだけきちんとした食事して。それがあいつの身体に結果として出てるって事なんじゃない?」

ナミの指摘に、サンジは驚いて言葉も出なかった。

ゾロの「結果」に自分の作った食事が関係している?
そりゃ、自分はこの船の食事のすべてを管理するものとして最善を尽くしていると誰に対しても胸を張って言える。
プロのコックとしてそれだけのことをしているという自負もある。
けれどそれが、大剣豪を目指して日々のほとんどを鍛錬に費やしているようなゾロの強さを作り上げるのにそんなに意味があると言えるほどのことなのかは考えたこともなかった。
ただ自分は、「人は食べなければ生きていけない」から、だから絶対に自分の前にいる者を飢えさせたりしないという信念に基づいて食事を作っているだけだったから。

「食事が・・・・・・・・・・」
「そうよ。サンジくん、いつもあたし達に言うじゃない?美容にはきちんとした食事が大切って。同じことじゃない、ゾロの身体にだってきちんとした食事が大切でしょ?」
「それは・・・・・・・・・・・そうなのかな?」
「そうよ。」

当たり前じゃない、とナミが笑った。

「あたしとロビンのお肌とか髪の美しさに食事が大切なら、あいつのあの筋肉作るのにだってちゃんとした食事は絶対に必要よ。」
「そっかなあ。」

半信半疑、というような返事をしながらも、サンジの内心はなんだか不思議な気持ちでいっぱいだった。
わくわくするような、どきどきするような。
言葉にたとえるなら・・・・・・・・・「嬉しい」?


「え〜〜〜、そうかなあ?」
「そうよ。」

思わずへらりと笑ったサンジに、ナミも笑顔を返してくれる。

「え〜、なんかすごいな。そっか、あのマリモの強さの一部は俺が作ってやってるんだ〜。なんかびっくりだなあ。」
「何をいまさら。サンジくんが気づいてなかったことのほうがびっくりだわ、あたしは。」

思いがけない発見を喜ぶ子供のようになサンジの様子に、ナミは悪戯っぽい目をしてもう一度甲板を指差した。

「だから、あれに触りたかったら触ってみればいいわ。」
「え?」
「あの身体はサンジくんが作ってやってるんだから、触ってみたいなら触ってみたらいいって言ったのよ。サンジくんにはその権利があるって。」
「えええええ?」

さすがにそれはなんだか・・・と躊躇する様子を見せたサンジに、ナミはくすくすと笑って続ける。

「もしかしたら『コツン』とか音がしちゃうかもよ?」
「え〜〜?」

あはは、と二人でひとしきり笑ってから、ナミはひらりと手を振って身を返した。

「グラス、後で返すわね。」
「あ、取りに行きますよー。」
「じゃ、お願い。ロビンとパラソルにいるから。」

すたすたと歩いていくナミの美しい後姿を見送りながら、サンジはナミのあの美しさも自分の作った食事が作り出しているというのなら、彼女にもちょっとくらいなら触ってみてもいいってことなのかなあ、などと見当違いのことを考えたりした。
でもそれ以上にサンジの心の中は、ゾロの強さの一部は自分の与える食事によって作られているのだという発見によって埋めつくされている。

だってそれは、大剣豪を目指すというあいつの夢を作っているということにもなるのだと気が付いたから。

-----------------それってすごいなあ。

素直にただ「すごい」と思っていたのだ。

そしてサンジは、立ち去るナミが思っていたけれど口に出さなかった一言など思い知るはずもなく。


『ゾロはちゃんと分かってると思うけどね。』

その日、サンジは。

自身で思っていたよりもずっとゾロに近い場所に自分が存在していたのだと、初めて知ったのだった。




end
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ナミさんに指摘されるまで、まったく無自覚なコックさん。

こんな風に仲間たちをものすごく大切にしていて、
なのに自分だってちゃんと仲間から大切にされているというんだということに対しての自覚が足りない、みたいな、
そんな無自覚なかわいい人だといいなあ、と思います。

しかし、うちのコックさんは天然なんだなあと実感。


この続きを・・・・・・・・・・・・書くかも。
ちゃんと「触らせてあげたい」な、とか(笑)


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