「ほら。」
 「おう。」

 差し出された小皿を受け取るために自分も手を差し出す。
 剣を持つ大きな手には小さすぎる皿が、料理人の白くて長い指先から渡された。
 瞬間、ほんの少しだけ指先が触れたのは、受け渡された皿が小さいせいでしかない。

 皿の中には、いつもの食事時には出てこないような、濃い味付けの料理だ。
 それは酒を飲む自分のためだけに誂えられたものと、今の自分はちゃんと分かっている。
 
 料理人が料理を作るなんて当たり前のことだ。
 そんな風にしか思わずに、ただ差し出される皿を受け取って料理を腹に入れていただけの頃もあった。
 今、そのころの自分を思い出すと、ゾロは色々なことに未熟なままだった若い自分自身を思い出して、
 なんとも言えない気持ちになることがある。

 それはそんな昔のことではなくて、つい数年前のことだったりするのだけれど。

 自分のことは自分で決める。
 やりたいことだけに目を向けて、
 進みたい未来だけを目指して、
 自分でそう決めて揺らがずにいれば、
 自分の進む先には自分の目指すものが必ず待ち受けているのだと思い込んでいた。
 あのころ。


 『一人で生きていると思うな。』
 いつだったか、唐突にこの料理人に言われた。


 麦わらの少年に誘われるまま船に乗り、「仲間」といえる者たちと行動を共にしていても、
 最後には、自分は自分の「野望」のために生きるのだと、
 そしてその道は自分ひとりで目指す道なのだと、ゾロは心の奥底でずっと思っていた。

 共に海を進んでいる仲間たちがいる、という意識はちゃんと自分の中にあった。
 けれど、「支えられている」という気持ちをゾロに理解させたのは、この男が初めてだった。
 暖かくて美味しい料理の数々を 毎日毎日、サンジは作り続ける。 
 用意される料理の中に、食べるものへの限りない愛情をこめて。
 「生きて食べることが出来る」ということと、「食べられるから生きていける」という意味の大きさを、
 誰よりも知っているサンジの作る料理は、ゾロの血となり肉となりながら、
 気がつけばなにかもっと他のものもゾロの中に育てていた。

 ただ、それをなんと言う名で呼べばいいのか、ゾロにはまだ分かっていない。
 けれど、それが心の中にあるのだと気が付いたときから、ゾロのサンジに対する態度には変化が現れた。
 ただノリと勢いだけで会話をしてケンカをして、周りから仲が悪いのかと評されていたような荒々しい付き合い方をしたいのではないのだと分かったから。
 
 話をしたい。
 最初に思ったのは、そんな単純なことだった。
 このコックと、ただ話がしてみたいと思った。

 ゾロがそんな気持ちに気がついたとたん、サンジの態度にも変化が現れた。
 何一つ言葉にしたわけではないのに、相手の態度に表れた何かを敏感に感じ取ったらしい。

 
 『酒飲むなら、ラウンジ来いよ。』
 そのときも夜の甲板で一人寝酒を呷っていたゾロのところにふらりとよって来たサンジは、 
 なにか作ってやるから、そんなふうに言って、あっさりとゾロとの間にあった「距離」を変えたのだ。

 
 サンジが最初にそんな風に声を掛けてきてから、ゾロは見張りの不寝番の時以外、
 ほとんどの夜をこのラウンジで過ごしている。

 それまでは適当に持ち出して呷るだけだった酒を、料理人の差し出すちょっとしたつまみと合わせて、
 ゆっくりと飲むようになった。
 そんなゾロの行動に何を言うでもなく、
 サンジは翌朝の朝食や時にはその後の昼や夜の食事の仕込を続けている。 
 そして、時折なんと言うこともないようなたあいも無い話をする。
 水を向けるのはいつもサンジで、ゾロはそれに対して返事を返す程度だ。
 「話がしたい」と思ったのは自分だったはずなのに、といつもラウンジを出るころになって思うのだけれど、
 それでもそんなラウンジでの時間に満足しているような自分に「まあいいか」と思うままになっている。


 こんな風に過ごす時間が、自分の中に何を作り始めているのか。
 そして、料理人が毎晩毎晩ゾロのためだけにつまみを作りながら、
 いったいゾロの中の何を育てようとしているのか。

 そんなことに気がつく日は、きっとそう遠いことではないのだろう。


 今はまだ二人とも、無自覚なままの行動なのだけれど。
 
 
 カチリ、とサンジがコンロの火を落とす音が聞こえた。
 仕込みが終わったらしい。
 ほぼ同時に、ゾロが手にしていた酒のグラスを開けた。
 つまみが乗っていた皿は当の昔にきれいに空になっている。

 「ほら。」
 「・・・おう。」

 いつものように声を掛けられて、ゾロは差し出された手に、空になったグラスと皿を手渡した。
 受け取ったサンジは、この夜最後の片付け物を始める。
 水音を聞きながら、ゾロは空になった酒瓶を持って立ち上がる。
 空き瓶を軽くすすいでから格納庫の隅に持っていくのは、ゾロが自分でやる数少ない片づけ仕事だ。
 シンク前のサンジのそばに立つと、サンジはゾロの手から空き瓶を受け取って、
 皿を洗う合間に瓶の中を洗って返してきた。
 

 「ほら。」
 「・・・・・・・・・・・・・・おう。」

 渡されたそれを受け取って、ゾロはラウンジを出た。
 背後ではサンジが洗い終わった食器を拭いている。

 静かな夜だ。
 船に当たる波の音も穏やかなものだ。
 不寝番はウソップだが、いびきは聞こえないから、まじめな彼らしくちゃんと起きているのだろう。
 
 そんなことを思いながら格納庫に瓶を置いて、ゾロはまたラウンジへ戻った。
 扉を開けると、サンジが使ったクロスをキッチンの隅に広げて干したところだった。

 扉を開けたままそこで待つゾロのほうへ歩いてくる。
 戸口脇で身体をよけてスペースを空けると、サンジは促されるままラウンジを出てきた。
 そこから手を伸ばして、ゾロはラウンジの灯りを落とす。


 パタン、とラウンジの扉が閉まる。



 
 この船の一日が終わった音だ、とゾロは思った。



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つらつらとゾロの物思いを書いてみました。
話がしたい、とゾロは思っているし、私も二人の会話が書きたかったはずなのに。
交わした言葉があれだけって・・・(苦笑)

でも、こんな何気ないきっかけから、というのが、
私の思う「二人」のスタートだったりします。

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もう少し。